カウンセラー's コラム

2007年1月31日(水曜日)

親の願い4

カテゴリー: - matsuzaka @ 16時08分03秒

 

 ・・・・昨日の続き

 ところで、こういう躾は、子どもが2,3才という幼い頃からされるわけだ。小さい子どもは「なぜ」という理屈をまだよく理解できない。理屈はわからなくても躾はされるわけだから、どうしても「〜してはいけません」「〜しなさい」という禁止や命令の形になってしまう。

 
 つまり、小さい頃というのは、親が禁止や命令をしながら子どもを育てている部分があるということだね。
 こうして、ある程度、親が子を育てる段階で、親の願い通りになってきたんだね。
 もし、それが、少しずつ、あるいは急に言うとおりにならなくなったとしtらどうだろう。
 「あんなに可愛がって育てたのに」「今まであんなに素直に言うことをきいたのに」と、たぶん親はわが子に裏切られた気持ちになるんだろうね。親の願いが子どもに通じなくなった、とイライラするんだろうね。僕はこう思うんだ。親がいつまでもわが子を思い通りに育てよう、と思うのは「甘え」だとね。子どもに甘えているから、昔のままで子どもに命令したり、禁止したりするんだとね。

 

                八杉晴実・八杉悦子著 「自分らしく生きてみないか」 より

 

 子どもの成長段階に応じて、子どもへの接し方を工夫していく必要があるのでしょう。わが子であっても、親の所有物ではなく別人格の一人の人間なのですから、広い心で子どもの成長を見守っていけるようになりたいものですね。


2007年1月30日(火曜日)

親の願い3

カテゴリー: - matsuzaka @ 15時59分48秒

 

 ・・・・昨日の続き

 

 ところで、この宝物は厄介なことに「自分の意志」を持っているんだね。
 親の願った方向にだけ成長してくれればいいのだけれど、子どもの意志は、その願いと反対の方向に向く場合もあるんだね。たとえば、2,3才の頃になると生命を落としそうな危険なことをしたり、悪い言葉を覚えたり、自分だけ得をしようとしてわがままを言ったりするようになる。

 

 そんなとき、母親はわが子がまちがった方向に進まないように叱ったり、叩いたりすることもあるんだ。これが躾というやつさ。

 

 「しつけ」とは「身を美しくする」と書くんだ。わが子にみにくいまちがった人間になってほしくないから「しつけ」をするんだね。
 お客様と会ったらきちんと挨拶をしなさい。他人のものをだまって持ってきてはいけません。自分のことはきちんとしなさい。嘘をついてはいけません。
 こういう躾は、いってみれば、一人前の人間として社会に参加していくのに必要と考えるから教えるんだね。   ・・・つづく  

 

                           八杉晴実・八杉悦子著「自分らしく生きてみないか」 より


2007年1月29日(月曜日)

親の願い2

カテゴリー: - matsuzaka @ 23時46分37秒

 ・・・・・昨日の続き

 こうして、宝物のように育てるわけだから、少しでもその宝が光を放ってくれるように願うのは当たり前の気持ちだろうね。知り合いの同じくらいの子がおしゃべりをし始めたと聞けば、自分の子は言葉が遅れているのでは、と心配する。ハイハイから立ち上がれるようになったといえば大喜び、歩き始めたといっては知人や親戚に知らせて回る。「私の子はこんなに成長したんですよ」と自慢したくてしかたがない。

 

 母親というものは、わが子を自分の宝物のように育てるものだ、ということがよくわかってくれたと思う。   ・・・・つづく

 

                          八杉晴実・八杉悦子著 「自分らしく生きてみないか」 より


2007年1月28日(日曜日)

親の願い1

カテゴリー: - matsuzaka @ 22時46分24秒

 

 親は子どもにやる気を出してほしい、元気であってほしいと願っているんだね。ところが実際は、毎日毎日やる気を奪うような小言を言ったり、元気を失わせるような命令や禁止を繰り返している。特に母親がその代表者になっている場合が多いんだね。

 

 なぜだろう。

 

 ぼくは「親の甘え」だと思う。お母さんが、キミに甘えているからだと思う。

 

 母親というのは、自分のお腹を痛めて子供を産むね。生まれるとオッパイを飲ませる。両手で自分の胸に抱きかかえてね。おむつも取り替えるし、お風呂にも入れる。わーっと泣けば、よしよしと言ってあやし、少しでも熱が出れば、どうしようもないほど心配する。

 

 母親というのはどこの母親でも似たり寄ったりで、それこそ、わが子を自分の宝のように大切にし、可愛がって育てるものなんだね。

 

                           八杉晴実・八杉悦子著 「自分らしく生きてみないか」 より


2007年1月27日(土曜日)

苦しみから見えるもの

カテゴリー: - matsuzaka @ 16時28分51秒

 浅野順一という牧師が、人生の苦しみを「穴」に例えて次のように言いました。

 「人間の一人一人の生活や心に大なり小なりの穴のようなものが開いており、その穴から隙間風が吹き込んでくる。その穴を埋め、隙間風が入らないようにすることは大事である。しかし、同時にその穴から何が見えるかということがもっと重要なことではないか。穴の開いていない時に見えないものが、その穴を通して見える。・・・・・どんなに苦しいこと、辛いこと、嫌いなことがあってもそれを通して健康な時、幸福な時、平安な時にはわからなかったことがわかり、知られなかったことを知るようになる。そこに新しい感謝と喜びを感ずるのではないか。・・・・・そのことによって不幸が幸福に変えられる・・・」

 

 苦しみの中において、通常の生活の中では見えなかったものが見えるようになるのです。今の苦しみがあなたに何を見えるようにしてくれるのでしょうか・・・。


2007年1月26日(金曜日)

イノシシも豚に

カテゴリー: - matsuzaka @ 16時07分15秒

 
 短所も、飼いならせば長所になる。

 おく病は慎重さに

 強情は意志の強さに

 口やかましさはよく気がつく性格に

 紙一重の違いである。

 短所は、愛がプラスされ、
 
 愛に支配されれば長所に変わる。

 

    千代崎秀雄著 「生活の処方箋」より


2007年1月25日(木曜日)

ゆとり教育の見直しは必要?

カテゴリー: - matsuzaka @ 23時45分31秒

 昨日、安部首相に教育再生会議の第1次報告が手渡されました。
 何とか今の教育を見直して、より良い教育をしたいという意気込みが感じられるものでしたが、教育の現場から見ると、不安の残る内容だったように思います。

 
 私が気になったのは、「ゆとり教育の見直し」についてです。確かに、日本の子どもたちの学力レベルは、ここ数年低下しています。教科書も薄くなり、簡単な内容しか教えなくなっているのも事実です。しかし、授業時間を10%増やし、指導要領を見直して教える内容を濃くしたからといって、本当に子どもたちの学力は向上するのでしょうか?一部の優秀な子どもたちや学習意欲のある子供たちにとっては、効果があるかもしれません。でも、多くの子どもたちにとってはあまり効果がないような気がします。
 今の子どもたちの中には、薄い教科書の内容すら十分に理解できていない子どもたちも多くいるのですから、内容を増やせば増やすほど、落ちこぼれが出ることでしょう。
 多くの子どもたちは、学習する目的意識や学習意欲がもてません。授業中も立ち歩いたり、騒いだりして学習どころではない学校もあります。これでは、学力が定着しないのも当たり前です。

 
 授業時間や内容を増やしたりする前に、何のために勉強しなければいけないかを子どもたちに教え、それを将来活かすことのできる社会を大人が作っていかなければいけないのではないでしょうか。そうでなければ、学力低下の問題は、解決することができません。
 子どもたちが夢を持ち、その夢を実現させるための手段として勉強があるということを子どもたちに知ってもらいたいものです。


2007年1月24日(水曜日)

いじめられている時の味方

カテゴリー: - matsuzaka @ 23時42分13秒

 

 いじめられているあなたにとって、何よりも必要なのは、あなたを守ってくれる「味方」です。

 

 いじめられている時、一番の「味方」になってくれるのは、あなた自身です。
 あなたが自分の敵になってはいけません。「自分は何も悪いことをしていない。」「いじめている相手の方が悪い。」というように、あなたの気持ちをわかってくれるのは、自分自身です。

 

 「私って、やっぱり人を不愉快にさせるのかなー。」とか、「私ってやぱりダメな人間なんだ。」等と自分を責めてはいけません。

 

 誰も味方になってくれなくても、あるいは、誰もあなたの言うことに耳を傾けてくれなかったとしても、あなた自身は、自分を信じてください。自分を嫌いになってはいけません。
 いじめられている時、自分を大切に思う気持ちが一番大切なのですから。


2007年1月23日(火曜日)

大人のいじめ

カテゴリー: - matsuzaka @ 23時44分09秒

 最近、子どものいじめが問題になっていますが、いじめは子供の世界だけの問題ではありません。
 大人の世界でもあります。
 大人のいじめには、上司からのパワハラ(パワー・ハラスメント)、ささいな言動で相手を精神的に追い詰めるモラルハラスメントなどがあります。
 職場でいじめにあい、ストレスから出勤することが困難になってしまう人やうつ状態になってしまう人が大勢いるようです。

 

 1月11日の朝日新聞の記事に、大人のいじめ特集があり、どのようにして克服したかという体験者からの手紙が載っていました。その中で、41歳の女性が心理士から受け取ったメールが紹介されていました。
 「あなたは、まじめすぎる。適度な楽観主義が必要です。」
 「とおりあえず、職場の同僚のいやな質問には、ニコニコしながら、とぼけてはぐらかしておけばいいんですよ。そして、相手が『いじめがいがない』と思わせるようにもっていきましょう。」
 「真の幸せは、他人に思いやりを与えることでしか得られないと思います。だから、あなたに対してそういうことをやっている彼女たちが、人間としての真の幸せをつかむことは絶対にありません。憐れんであげましょう。」

 

 彼女は、その後、「あの時期はつらかったけど、真面目一辺倒だった自分を見つめなおし、力の抜き方がわかった。この体験を生かしていきたい。」と述べています。

 

 この心理士の言葉には、2つの重要な点があります。
 1つめは、相手に『いじめがいがない』と思わせることです。相手と同じ土俵に立つのではなく、相手の攻撃をうまくかわす術を身につけると、いじめられなくなるのです。同じ職場にいても、いじめられやすい人とそうでない人がいるでしょう。上手にはぐらかし、いじめられにくい人になりましょう。
 2つめは、相手より上の立場になっていじめている相手を憐れんであげるということです。相手を真の幸せをつかむことのできない哀れな人だと考え、憐れんであげるのです。そうすれば、腹も立たなくなることでしょう。

 

 いずれにしても、すべてを真正面から受けとめるのではなく、上手に力を抜いて問題に対処できるようになると良いですね。


2007年1月21日(日曜日)

相手を受けとめる

カテゴリー: - matsuzaka @ 22時34分25秒

 私たちは、どのような人を好きになるのでしょうか。

 人によって、合う人、合わない人がいるのは当然ですが、誰でも自分の気持ちを十分受けとめてくれる人のことを好きになるのではないでしょうか。

 西郷隆盛は、人間が大きかったと言われますが、どのように大きかったのでしょう。坂本龍馬は西郷に会って、人間の幅の大きさに驚いたということです。

 西郷は、どんな相手をも受けとめてそれに応えることができたという点で、大きな人間だったと言われるのです。相手の誠意には誠意で、愛情には愛情で、情熱には情熱で積極的に応えようとしたのです。

 「のれんに腕押し」のように手ごたえがなかったり、頑丈な壁のように何でも跳ね返してしまうような人であっては、好かれたり、信頼されたりするのは難しいでしょう。たとえ意見の異なる相手のことであっても受けとめることができるような心の広さを持ちたいものですね。


2007年1月20日(土曜日)

現実自己と理想自己2

カテゴリー: - matsuzaka @ 16時57分51秒

・・・昨日のつづき

 

 それにしても、いつまでたっても現実自己と理想自己のギャップが大きく、いっこうに縮まる気配がないと悲観する者もあろうが、これも勘違いだ。というのは、理想というのは常に現実の数歩先に設定するものだ。現実自己が前進すれば、その分要求水準が高まり、理想自己も自動的に前進していく。けっして追いつくものではないのだ。

 現実自己と理想自己のギャップに自己嫌悪をする必要はなく、そのギャップをいかにして縮めたらよいかに頭をひねればよい。現実自己と理想自己のギャップにうまく対処した頃には、また別のギャップに悩まされることになる。また頭をひねればよい。こうしたいたちごっこが成長へと導いてくれる。目指すべき目標がはるか先にあるからこそ、生きる意味もあり、張り合いもあるというものだ。

 現状に甘んじることなくたえず成長するためには、甘言ばかりで調子の良い者より、ちょっと憎たらしくとも苦言を呈するものを身近にもつことが大切と言われる。甘いことばばかりかけられていると、いい気になって溺れてしまう。あえて苦言を呈し、憎まれ役をかって出てくれる者こそ、真の友と言える。

 内省癖ゆえに苦しむ内向的人間は、自分のなかにこの強い味方を備えているようなものだ。落ち込むより、喜んで悩まされるのが得策だ。         

                 榎本博明著「そのままの自分を活かす心理学」 より


2007年1月19日(金曜日)

現実自己と理想自己

カテゴリー: - matsuzaka @ 23時51分43秒

 現実自己とは、自分自身がとらえている現にあるがままの自分のイメージのことで、理想自己とは、あるべき自分のイメージのことだ。

 自分は意志が弱い、勤勉さが足りない、ユーモアが足りないなどと悩み、自己嫌悪に陥るものは、いわば現実自己と理想自己のギャップに悩むわけだ。あるべき自分とはあまりにもかけ離れた現実の自分に嫌気がさすというのは誰にでもあることだ。

 きまじめな者は、このギャップがダメ人間の証明であると勘違いしてしまう。それが勘違いであることは、ちょっと冷静に考えてみればわかることだ。

 そもそも何のための理想自己か。現実自己を向上させるために、現実自己より価値の高いところに設定したのが理想の自己だろう。したがって、両者にズレがあって当然と言える。現実自己と理想自己が完全に一致し、現実の自分に何の不満もないという者こそ、かえって怠慢というものだ。  ・・・つづく

                     榎本博明著「そのままの自分を活かす心理学」より


2007年1月18日(木曜日)

パーソナル・スペース

カテゴリー: - matsuzaka @ 23時50分59秒

人と話をする時、「ちょっと近づきすぎだよ・・・。」と思うくらい、近づいてくる人がいます。そんなときは、思わず、1歩下がってしまいます。
 パーソナル・スペースとは、他の人に入り込んで欲しくない範囲の空間のことです。私たちのまわりには空間がありますが、相手との関係によって、近づいても許せる範囲というものがあるのです。

 
 ホールという人が次の4つの距離を定義しました。
1、密接距離−恋人関係のように親密な間柄のみに許容される距離
2、個人距離−手を伸ばせば相手に届く距離
3、社交距離−社会上の集まりなどで使用される距離
4、公衆距離−講演などのように公的機会に使われる距離

 

 親密でもない相手の空間に入り込みすぎると、相手は防衛的になってしまいます。

 相手との親密さや性別、年齢などをよく考え、適度な距離をとることが人間関係を上手にやっていく秘訣です。


2007年1月16日(火曜日)

道は開ける

カテゴリー: - matsuzaka @ 23時55分06秒

 

   退潮のどん底から満潮が始まる。 

                ヘンリー・W・ロングフェロー(アメリカの詩人)

 

 

   人生を幸福に、喜びと確信をもって生きている人は、必ずしも、幸運で安易な生活の人ではない。実は現実はその反対である。不幸、悲哀、挫折の烈風と闘った人は、品性と信仰が強化されるのである。日ごとに創造主の恵みと、彼が作られた世界とに心からの信頼をよせることにより、そうなれるのである。  

                     ウェルズ

 

 

   欲しいものが何でも手に入るときは幸運であろうか?

   肥えてゆく飼い豚を想像せよ。

                ジョウル・C・ハリス(アメリカの作家)

 

 

   雲やあらしがなければ虹はない。  

                 J・H・ヴィンセント(アメリカの牧師)

 

 

   境遇に人間をつくらせてはならない。

   境遇をとらえ、働くための道具とすべきである。

                  エレン・G・ホワイト(アメリカの宗教家)


2007年1月15日(月曜日)

自然の恵み

カテゴリー: - matsuzaka @ 23時50分17秒

 今日、非常勤で勤務する小学校にラジオ放送局bayfmの番組「POWER BAY MORNING」のパーソナリティである 小島 嵩弘さんがいらっしゃいました。

 

 小島さんが千葉県多古町で作った多古米を持ってきてくださり、子どもたちと共に食育や自然について考えるときを持ちました。東京生まれの小島さんが、初めて苗作りから稲刈りまでを行い、お米を作った感動をお話してくださいました。プログラムの最後には、炊き立ての多古米で自分たちで握ったおにぎりを美味しくいただくことができました。

 私も、塩で握っただけの素朴なおにぎりでしたが、大変美味しく、いただきました。

 今まで、お米の味を味わうことなど忘れてしまっていたようです。今日は、自然の恵みの素晴らしさをお米を通して感じることができたような気がします。

 

 先ほど、NHKの番組でイギリスのコッツウォルズの田園生活を紹介していました。自然と一体となって生活している様子がなんだかうらやましく感じました。木からりんごを収穫している主人が「全部採らないで小鳥たちの分はそのまま残しておくんだ」と言っていました。人間も自然の一部です。毎日の忙しい生活から離れて、ちょっと自然に目を向けてみませんか?普段見えない何かが見えてくるかもしれません。

 

 


2007年1月14日(日曜日)

ゼロトレランス

カテゴリー: - matsuzaka @ 20時34分31秒

 
 今日の朝日新聞に「ゼロトレランス」に関する記事が掲載されていました。

 
 「ゼロトレランス」とは、90年代後半にアメリカで広がった生徒指導の方法のことです。これが今、日本の各地の高校で導入され始めているということです。文部科学省でも昨年5月に調査報告書がまとめられ、全国的に広がり始めています。

 「ゼロトレランス」は直訳すると、「寛容度ゼロの指導」というもので、規則違反が一定の回数に達すると謹慎や出席停止などの罰が自動的に与えられることになるというものです。イメージとしては、交通違反の切符の学校版と考えてよいでしょう。
 新聞で紹介されていた静岡県の県立高校では、服装や外見がこの指導の対象となり、違反するごとにチェックカードが渡されます。たまった枚数に応じて担任との面談や反省文、早朝奉仕活動、3日間の謹慎などが科せられることになります。また、岡山県の私立高校では、違反を5段階に分け、レベル5の違反を一度でもすると即、無期謹慎か退学処分となります。

 
 アメリカの学校というと、自由な雰囲気で授業中でもガムを噛み、足を机の上に投げ出しているというような映画の一場面を想像してしまいますが、現在のアメリカの学校は、非常に厳しく指導されているのです。アメリカから帰国した方に聞いた話によると、アメリカには色々な人種や家庭環境の子どもがいるので、どんな子どもに対しても公平に指導する方法がこの「ゼロトレランス」だそうです。小学校の場合ですが、休み時間の終わりになると、校庭や廊下に描かれている足跡のマークの上に子どもたちはきちんと口を閉じて整列し、教室に入るそうです。教室は勉強をする場所という概念を小さいうちに植えつけているのでしょう。
 アメリカ人やアメリカから帰国した方は、日本の学校があまりにも乱れていることに驚くと共に、それを教師が見ているだけで指導しようとしないことが不思議でしょうがないようでした。
 アメリカは、契約社会です。契約したことは守らなければいけないということが、この指導方法で徹底されるようになりました。
 日本は、まだ、生徒を受容しながら生徒自身の成長を待つという考えが強いので、「ゼロトレランス」が受け入れられるかどうかわかりません。(以前、このことが話題となったとき、義家氏(元ヤンキー先生)は、強く反対していました。)
 ただ、最近の青少年のルール違反やマナーの悪さを見ていると、契約したことは守らなければならないことや守らないときはそれなりの責任を取る必要があるということをもう少し指導する必要があるように思います。

 

 寛容度ゼロというと、非常に冷たく、子どもの心を大事にしないような印象を受けますが、そうではありません。悪い子を排除して学校の立場を守るためのものでも教師が楽をするためのものでもなく、子どもを生かすための指導法ですから、罰などの方法で責任を取る必要性を教えると共に、担任やカウンセラーが子どもの心の成長を促すような働きかけを十分にしていくことにより効果が現れてくるというものなのです。

 

 今の日本の教育に必要なことかもしれませんね。


2007年1月12日(金曜日)

心の奥に引っかかっている思い

カテゴリー: - matsuzaka @ 15時54分57秒

新年早々、疲れる夢を見てしまいました。
 詳しいことは、よく覚えていませんが、周りの人に迷惑を掛けるような大変なことをしてしまったのに、そのまま、その場を立ち去ってしまったのです。
 その後、それをしてしまったのは自分だと言いに行って謝ろうかどうしようか悩んでいました。なかなか決心がつかず、苦しんでいるときに目が覚め、今のは夢だったんだ、とホッとしました。

 

 子どもの頃、親や先生に隠れて悪いことをしていると、何かもやもやした気持ちが残り、何をしても楽しくないという経験をした方がいらっしゃるのではないでしょうか。やったのは誰かと問われても、言い出す勇気がなく、結局そのままになってしまったという経験をした方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 悪いことをした後、罪悪感や自責の念にかられ、苦しくなってしまうということがあります。時が経ち、忘れたつもりになっていても、実は心の奥底に残っているということがあります。

 

 心を軽くするためには、心の奥に引っかかっている思いを吐き出すことが大事です。自分の間違いを認め、謝る勇気を持つことができたら良いですよね。


2007年1月11日(木曜日)

我を忘れよ

カテゴリー: - matsuzaka @ 17時25分21秒

    我を忘れよ

 

 人は、自分のことを考える度合いに比例して、
 みじめになる。

 

  もし考えるなるら

 

 第三者の立場から客観的に見て考えよ。
 そうすれば、反省するゆとりも生まれるし、
 自己燐憫から敗北主義に陥るおそれもない。

       

         千代崎秀雄著「生活の処方箋」より


2007年1月10日(水曜日)

いじめ問題 SMAP×SMAP特別編2

カテゴリー: - matsuzaka @ 17時19分32秒

 先日の「SMAP×SMAP特別編」では、実際にいじめられている子が電話で登場しました。
 小学校6年生の女の子です。クラスのみんなから、言葉による暴力だけではなく、殴る、蹴るなどの暴力を受けたり、ボンドを頭からかけられたりしたそうです。それに対して、親が担任や教頭に訴えても全く取り合ってもらえないということでした。
 これだけ、いじめ問題が騒がれているのに、どうしてまともに取り上げてくれないのか、大変不思議に思いました。
 昨年末には、いじめに関する作文を書くように言われたので、正直にいじめを受けていることや先生に取り合ってもらえないことを書いたら、担任に呼び出されて怒られたそうです。
 う〜ん、学校って常識が通らない社会なのでしょうか?良い先生もたくさんいるはずなのに・・・・残念ですね。

 

 ある女の子は、義家氏のアドバイスで転校したそうです。しかし、しばらくすると転校先でもいじめられるようになったそうです。そんな時、母親が保護者会を開くことを要求し、同年代の子どもを持つ親たちにいじめ被害の現状を訴えたそうです。これに多くの親が共感し、家でそれぞれの子どもにいじめについて話し、その後、学校では学級委員の提案によりいじめに関する学級会が開かれ、それからいじめはなくなったということです。
 いじめ被害者の親の訴えに共感した保護者たちの協力により、問題は解決しました。また、子どもたちが各々自分の問題としていじめ問題をとらえ、真剣に取り組もうとしたことによって、問題が解決したのではないでしょうか。
 子どもたちがいじめの加害者にならないために、あらためて大人の教育力とかかわり方が大切であることを教えられたような気がします。


2007年1月9日(火曜日)

いじめ問題 SMAP×SMAP特別編

カテゴリー: - matsuzaka @ 23時41分08秒

 昨日(1月8日)、放送されたSMAP×SMAP特別編『いま、いじめている君へ』を見ました。ゲストに義家弘介氏(教育再生会議担当室長・元ヤンキー先生)を迎え、実際に子どもたちの生の声を聞きながら考える内容でした。
 この中で、「いじめられる側にも問題がある」という質問に対して、70%近くの子どもたちが「問題がある」と回答していました。その理由として、「話すときにつばを飛ばすから汚い」「周りの空気が読めないから」「自己中心だから」などをあげていました。これに対して、義家氏は「それは、間違っているよ!!」と、声を荒げて反論していました。「それらの問題といじめは別」「だからっていじめていい理由にはならない!」と。
 その通りです。確かに、いじめられる側にいじめられる要因がある場合もあるのかもしれません。子供の世界はシビアですから、本能のままに感じることが何かあるのでしょう。しかし、だからといっていじめてよいわけはないのです。何か解決すべき問題があるのであれば、いじめという方法ではなく、やさしくかかわる方法があるはずです。自分と異なる何かをもっている者を異質な者として嫌うこと、排除しようとすることは、あってはいけないことです。
 多くの子どもがこのように考えている姿を見ると、非常に残念に思いますが、大人が十分に子どもの心を育てていないという現実が浮かび上がってくるのではないでしょうか。本能のままに行動しようとする子どもを、正しい方向へと導く教育をするのが我々大人の役目ではないかと思います。


2007年1月8日(月曜日)

成人式

カテゴリー: - matsuzaka @ 17時22分22秒

 

 昨年、破綻し、財政再建団体移行が決まっている北海道夕張市で7日、成人祭が行われ、新成人91人が出席しました。
 今年は、市が毎年支出していた60万円の補助金が全額カットされ、与えられた予算は前年度繰越金の1万円のみでした。成人祭実行委員の土屋美樹さん(19)らが資金集めに奔走し、全国から約237万円の寄付、市内のホテルやスキー場から割引券等のプレゼントが寄せられました。
 市からは会場として市民会館を無償で借りることができ、例年の半分以下の20万〜30万円程度の額で成人祭を成功させることができたそうです。残った寄付金は来年度以降にそのまま繰り越すことになったということです。

 
 例年、各地の成人式で様々なトラブルが発生していますが、夕張市の温かい手作り成人式のニュースを聞いて、ほのぼのとうれしい気持ちになりました。
 大人たちから与えられた形ばかりの成人式ではなく、自分たちの手で苦労して作り上げた成人式は、多くの人たちに感動を与えただけでなく、当の本人たちにとっていつまでも忘れることのできない貴重な経験、そして財産になったことと思います。
 今の若者は、物質的には何不自由ない生活をしていますが、自分の手で何かを作り上げていく喜びを感じたり、感謝の気持ちを持つ機会が与えられていません。自ら主体的に行動し、目標に到達したときに感じる喜びが、次の行動を起こすためのエネルギーとなるのではないでしょうか。


2007年1月6日(土曜日)

幸福と不幸4

カテゴリー: - matsuzaka @ 17時10分23秒

・・・昨日のつづき

 

 私たちをとりまく不幸は多い。それを数えだしたら限りがないだろう。

 だが、その前に立ち止まって、まるで自分だけが不幸でもあるかのように、自分が何か悲劇の主人公ででもあるかのように、自分の不幸を誇張して考えることはやめようではないか。

 自分の不幸を誇張することは不幸をいっそう大きくするのに役立つに過ぎない。

 不幸はいたずらに嘆くべきものではなく克服すべきものであり、私たちの理性と意志はそのためにこそあるのである。

                            矢内原伊作「人生の手帖」より

 

 

 

 


2007年1月5日(金曜日)

幸福と不幸3

カテゴリー: - matsuzaka @ 23時18分02秒

 ・・・・・・昨日のつづき

 

 幸福は物質的条件にあるのではなく心の持ち方にあると言っても、それは何も努力せず、何も考えず、豚のようになれという意味ではない。

 もちろん、いくら考え、いくら努力してもどうにもならないこともある。

 しかし、ほんのわずかな努力も入り込み得ないほど困難な事態というものはほとんどないと言ってよいのではあるまいか。

 どうにもならないと言いながら、それを怠惰の口実にしている場合が多いのではないだろうか。

 諦めは一見幸福に似ているが、実はこれほど幸福から遠いものはない。

 外的な条件を一歩一歩幸福に近づけてゆく努力、この努力の中に、内的な幸福がすでに生まれているのである。  ・・・つづく

                                 矢内原伊作「人生の手帖」より


2007年1月4日(木曜日)

幸福と不幸2

カテゴリー: - matsuzaka @ 23時04分55秒

 ・・・・・・・昨日の続き

 

 しかし人間は豚ではなく、豚以上のものだ。

 いたずらにおそれたり嘆いたりするのは愚かだが、船は必ず沈むとは限っていない。かといって沈まないとも限っていない。

 してみれば、豚のように何も知らないで落ち着いていることは本当の幸福ではない。豚とは異なる人間は、おそれるとともにまた理性と意志によって恐怖の対象を取り除く力を持っている。

 人は、努力をしないでいたずらに嘆くとき豚に劣り、自然や運命を自分の力で克服できる点で豚に勝っているのである。

 そして、あわてたりいたずらに心配したりするだけでは正しく判断することができないし、逆にまた、現実の事態と取り組んで一生懸命に努力していれば、いたずらに泣き叫ぶこともないだろう。  ・・・・つづく

                                        矢内原伊作「人生の手帖」より

 


2007年1月3日(水曜日)

幸福と不幸1

カテゴリー: - matsuzaka @ 23時47分23秒

 新しい年は、みなさんにとってどのような年になるでしょう。幸福な年になるでしょうか?それとも、不幸な年になるでしょうか?これから起こるかもしれない嵐をどのようにして乗り越えていけばよいのか、次の文章から考えてみましょう。

 

 「ピュロンの豚」という有名な話がある。

 昔ピュロンというギリシャの哲学者が航海をしていたところが大きな嵐が起こって、船は山のような大波に持ち上げられるかと思うとまた波間に沈み、乗っている人たちは生きた心地もなく、あわてふためき、帆柱にしがみついたり泣き叫んだりした。ところがその船には一匹の豚がいて、豚はいくら船が揺れていまにも沈みそうになっても少しもこわがらず、平気でいつものように鼻をならしていた。哲人ピュロンは、この豚を見るがよい、と言って周囲の人たちをたしなめ励ましたということである。どうにもならない事柄に対していたずらにこわがったり嘆いたりすることは不幸をいっそう大きくするばかりであり、豚にも劣るといわれても仕方がない。   ・・・つづく

                                            矢内原伊作「人生の手帖」より


2007年1月2日(火曜日)

新年の決心

カテゴリー: - matsuzaka @ 23時13分48秒

 あけましておめでとうございます。

 本年も皆様のお役に立つ情報を書いていきたいと思います。昨年同様、よろしくお願いいたします。

 

 2007年を迎え、新たな決心をした方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 「毎日、日記をつけよう」「ウォーキングを続けよう」「今年こそは、タバコをやめよう」・・・などなど・・・。

 

 現状に満足するのではなく、常に前向きに目標を持っていることは、良いことです。

 しかし、目標が高すぎると、なかなか目標に到達できず、現実とのギャップに苦しむことになります。到達が難しいような目標だと、途中であきらめてしまうことになったり、到達できない自分をダメだと思うようになってしまったりするのです。

 

 「志(こころざし)は高く、目標は手の届きそうなところへ」

 

 現実より、少し高いところに目標を置き、その目標に到達したら少し高い目標へ、というように到達可能な目標を設定していくと達成感と自信が深まり、効果的です。

 さあ、一年のスタートです。今年は、どんな目標を立てましょうか・・・・・。

 


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